エンデのなかの相反するものについて

シュタイナーとの対立

なんだか一年に一回程度、新しい記事書くみたいなペースになってますが、先日ここ数年毎年お邪魔させて頂いている黒姫童話館さんで開催された堀内美江先生のエンデ講座で伺ったお話のなかで、ちょっとしたことを書いてみようかなという気になるようなことがあったので、相変わらずざっとですが書いてみたいと思います。なんて書くと何かすごく新しい発見だったり、新しい知見に触れたりということがあったかのようですが、特別そういうわけではないです。なのでこれから書くことも基本的には今まで書いてきたことと大きく変わりませんし、きっかけとなった話というのも、割と有名な話だったりします。じゃあ、なんで触れるのかというと、俯瞰してみたときに一つの一貫した視点になるのかなぁという感触があったためで、まとめという意味でも書いて見たいと思います。さて、堀内先生のお話の中で、エンデは一部に流布しているような印象とは違い、必ずしも文明を否定はしていなかった。実際に、水洗トイレだけは手放せないとか、エンデの書斎にコンピューターゲームをするためのコンピューターがあった、なんてエピソードをお話して頂きました。こういうエピソードから、エンデは文明批判的な視点と文明をきちんと受け入れる態度というのを両立していたということだったのですが、この一見相反する態度を両立するというところを今回は3つの論点から見てみたいと思います。
最初の論点は、この文明批判的なところとも関係するところで、シュタイナーとの関係について見ていきましょう。そもそも、この文明=唯物論的なものをいわば必要悪として受け入れるという立場自体が、シュタイナーの影響を感じさせるところではあります。シュタイナーはよく悪をルシファーとアーリマンという存在として語りますが、この2つの悪の影響(平たく言えば、唯物論と利己主義)を単に避ければよいというわけではなく、「悪になる可能性のなかで生きよ」というのがシュタイナーの基本的な立場となります。ですから、先に言ったようなエンデの態度自体は必ずしも反シュタイナー的とは言えず、見方次第では非常にシュタイナー的な立場だと言えるかと思います。では、シュタイナーとエンデの間の相反するものとはなんでしょうか。エンデの対談等をお読みになったことある方、エンデの思想に少なからず興味があるかたなら自明かと思いますが、これはもちろん芸術に対する考え方・捉え方の点です。エンデは自分の人生観や世界観について、シュタイナーから多大な影響を受けたことをはっきりと明言していると同時に、シュタイナーの芸術観だけは絶対に受け入れられないとも言っています。私見ですが、私を含めてこの点について表面的に「エンデはシュタイナーの芸術観に批判的だった」と理解されてはいるにせよ、そもそもこの点についてその内実をきちんと指摘できる方はほとんどいないんじゃないかという印象を受けています。そういう意味では、これから書くこともそれほど踏み込んだ内容ではないのですが…。まずはその理由を述べてみたいのですが、ざっくり言えば二点挙げられると思っています。第一に、シュタイナーの美学を明確に語ることが難しいという点、第二にエンデとシュタイナーとの関係について、とりわけ芸術に関する論点をどう評価するかという点です。
一つ目の論点について、筑摩書房が出したシュタイナーコレクションというシリーズの最終巻に『芸術の贈りもの』というタイトルの芸術をテーマにして編集したアンソロジーがあります。翻訳は高橋巌先生で言わずと知れた日本のシュタイナー研究の第一人者であり、美学者でもある方です。美とシュタイナーについて論じるのに、これ以上の方は日本にはいないのではないかという気がしますが、その高橋先生が解説でシュタイナーの俗に言う1900年の「神智学的転回」後に書かれた主著『神智学』について次のように書いています。

「その第一部の人間の本質を論じたところで、思考と感情と意志のことを繰り返し取り上げながら、思考と感情と意志が真なるもの、善なるものとどのように結びつくかを述べていますが、不思議なことに、美についてはまったく触れていないのです。ところが、真とは何か、善とは何かを、思考、感情、意志との関係の中で論じながら、美とは何かを論じていないために、よけいに美とは何かが見えてくるのです。」(シュタイナー,高橋巌訳『芸術の贈り物』,344P)

ここでは書いていないので逆照射される形でシュタイナーの美についての考え方が見えてくると言われていますが、なかなかそういう読み方ができる人はいないのではないかという気がしてしまいます。私が理解する限りでは、シュタイナーという人は基本的にはカント以来のドイツの哲学潮流に棹さしています(それが後にシュタイナーが主張するように、あえてしていたことかどうかはここでは棚上げしたいと思います)。とりわけ哲学的主著と言われる『自由の哲学』では3部構成の第一部では認識論で自らの哲学的立場を基礎づけし、第二部ではエンデも強い影響を受けていると言っていい道徳的想像力の議論を含む倫理学へと敷衍していくという構成になっており、理論哲学と実践哲学というドイツ観念論的にメジャーな構成になっているのですが、第三部では美学が扱われることなく、ここでも美について明確に語ってはいません。前述の『芸術の贈りもの』所収の「新しい美学の父としてのゲーテ」という講演が、かなりはっきりと美の論点について若きシュタイナーが触れたものになるのではないでしょうか。つまり、理論的に美学を自分の思想のなかで位置付けて論じた資料が、認識論=真や倫理学=善に比べてかなり少ないと言えると思います。もちろん、シュタイナーは芸術をかなり重要視しており、よく言われるようにゲーテアヌムの設計や彫刻「人類の典型」といったシュタイナー自身の創作や、シュタイナー教育のカリキュラムのなかでもよく話題に挙げられるフォルメン線描やオイリュトミーなど、アントロポゾフィーの活動のなかではかなり芸術が重要な位置を占めていることは一般的にも認められていると思います。簡潔に言えば、シュタイナーは自身の思想・活動全体のなかでは芸術を重視しているにも関わらず、理論的には少なくとも真や善ほどには美をきちんと自分の思想体系のなかに位置づけていないと私には感じられるということです。一方で、エンデ自身も折に触れてシュタイナーの芸術観を批判してはいるものの、決して体系的なものではないので結果としてエンデのシュタイナー批判自体の内容はある程度わかるものの、シュタイナーの理論や実践のどういう点を見てそう言っているのか、多くの場合かなり不明瞭になってしまっていると思います。またここを明瞭にするにはかなりシュタイナーの美学に精通している必要があると思うのですが、それがかなり困難な仕事だというのがこの論点を更に難しいものにしているのではないかと思います。
第二に、これはエンデ解釈の問題になってくるのですが、全体としてエンデへのシュタイナーの影響をどの程度に見積もるかに関する差がかなり解釈者によって差があるように見えるし、まだ評価が全然固まっていないように見えるというところに起因します。全く個人的な感想になってしまいますが、この論点はほとんど真っ二つと言っていいほど両極端だという感じがしていて、シュタイナーを含めたエンデの神秘主義的な部分をできるだけ触れずにすませたい、脱臭したいという傾向を感じる論者がいる一方、シュタイナー思想に親和的でエンデとシュタイナーを強く結びつけようとする論者がいると感じています。前者については、少し私自身の偏見を含んでいる可能性がありますが、最大限公平に言っても、シュタイナーの議論は多岐にわたる上に一次資料は膨大で内容的にも一方では哲学的にゲーテドイツ観念論系の議論の影響を受けながら、後年は神智学を含めヨーロッパの秘教的思想の影響を様々に感じさせる議論があり、エンデとシュタイナーの関係を論じようとしてちょっとかじってみたくらいではとても手に負えないのは確かだと思います。そうなると、前者の人たちは今回問題にしている論点について深く踏み込み難いので、比較するまでもなくエンデの言葉を額面通りに受け取って概ね無視する形になり、一方シュタイナー思想の側から見ると、エンデがシュタイナーから強い影響を受けているのは確かなので、芸術についてのエンデとシュタイナーの議論の齟齬「程度」であれば、それほど大きな問題とみなさないということになりがちではないかと思います。これはエンデとシュタイナーにおける芸術の位置づけと重要度の違いに起因していると思いますが、私個人の見解からすれば、エンデにとって芸術について齟齬があるというのは極めて大きな問題であるはずで、芸術については意見が違うけど、それ以外の多くの点ではシュタイナーに同意しているんだから、そこはエンデの芸術家としてのこだわりだよね、といった形で流せる問題ではないと考えています。ちなみに、私もかつてはこれに近い考えをしていて、ここがそこまで重要な問題であるとは考えていなかったことは言っておきたいと思います。これについて私個人の感想だけでなく、具体的な例を挙げるとすれば、エンデとヨーゼフ・ボイスとの対談を読むとこの二人の間の対立のなかで、間接的ではありますがこの論点が鮮明になっているのではないかと思います。この対談だけではありませんが、エンデの議論を読んでいると社会や経済について論じていたはずがいつの間にか芸術の問題へと移行していきます。こういったエンデの議論の展開にボイスは少し苛ついたように話はすぐまたそのクソ芸術家のところに戻ってくる!とかなり強い言葉で批判しています。もちろん、ボイスの立場は必ずしもシュタイナーに忠実というわけではないにせよ、芸術家や芸術の位置づけや重要性の落差について推測する一つの手がかりにはなっているのではないでしょうか。
以上の話を踏まえて、この美の論点に関する対立というのを少し眺めてみます。シュタイナーは「新しい美学の父としてのゲーテ」という若い頃に行った講演のときから、神智学的転回以後も一貫して美についてシラーの有名な「美的教育に関する書簡」の議論を支持しています。一方で、エンデは東京講演「永遠に幼きものについて」などで同じく「美的書簡」について高い評価を与えています。エンデの場合、シラーの遊戯(Spiel)衝動における遊戯と自由と美の関係を重視しているように見え、他方、シュタイナーは遊戯の点というより真と善の必然的な法則の中間にある美の領域における自由で道徳的な行為(これはカリアス書簡的な論点でもありそうですが)という『自由の哲学』の論点にも通じるように見えるところを評価しているように見えます。シュタイナーはのちの講演では感覚的‐超感覚的なものについて語っています。おそらくですが、ここでイメージされているのはゲーテの原植物なのだと思います。シュタイナーにとってこの原植物のイメージは霊的な事実そのものではないが、しかし感覚的な事物を超えた何かと捉えられているようです。しかし、エンデの「隠れたものの実在」のようなテクストを読む限りだと、エンデにとってこのゲーテが目に見える理念として説明した原植物はそのまま霊的‐イデア的なものだと考えられているように見えます。となると、この点で双方の間には齟齬があり、というかエンデのシュタイナー理解に問題があった可能性というのはあります。しかしながら、理論的な問題は一旦棚上げしたとして、エンデは「シュタイナーの芸術には闇がない」「霊的な事実を単に表現すればよいと思っている」などと言った批判をしています。こういったところからすると、どちらかと言うと理論的な問題というよりシュタイナー自身の実際の芸術の取り扱い方を見るのが良さそうな気がします。私自身、とても印象深かったエンデの言葉なのですが、ある書簡で叔父のヘルムートにシュタイナーに関して批判をしているのですが、要約すると次のような内容なのです。シュタイナーはある講演(おそらく「キリスト衝動の告知者としてのノヴァーリス」)でノヴァーリスの『青い花』の遺稿に残された「もはや数や図形が~」という有名な詩を取り上げています。ここでシュタイナーはこの詩の最後の部分を改変しているのです。

「霊の言葉が世界観を基礎づけているとき、言葉はもはや単なる言葉ではありません。最高の魂にとってももっとも素朴な魂たちにとっても、この言葉は照明され温められます。これが私たちの憧憬にほかなりません。それはまたノヴァーリスの憧憬でもあります。ノヴァーリスはこれを美しい言葉で表現しています。私は終わりにこの言葉をたった一語だけ変更して、ご紹介したいと思います。」(拙訳)Rudolf Steiner,TB739『Erfahrungen des Ubersinnlichen Die drei Wege der Seele zu Christus』238P

シュタイナーはこう述べたあと、ノヴァーリスの詩の「Das ganze verkehrte Wesen fort(さかしまのものはみな飛び去っていく)」(ノヴァーリス,今泉文子訳『ノヴァーリス作品集2』315P)という部分を「Das ganze verkehrte Herden-Wesen fort.(狂った畜群‐存在はみな飛び去る:拙訳)」と変更して引用しています。この講演を例にとってエンデはこの変更は詩を台無しにするものであり、シュタイナーが詩芸術を理解していない証拠だと言っています。シュタイナーは引用文の少しあとで、自分を自由な精神とみなす俗物はちょっと怒るかもしれないと皮肉を言っていますので、この点では両者の立場は正反対になっているのです。前回の記事に書いたことですが、エンデは重松禅師との対談で自分の芸術観について、ちょうどよいときにちょうどよいことをなすことだということを言っています。エンデのこうした芸術観から見れば、ここでのシュタイナーの振る舞いは芸術家が美的な観点から彫琢した言葉を霊的な真理を伝達するために歪めているように見えたに違いありません。エンデは父エトガーの制作法を説明する際、エトガーがある種の瞑想から得たスケッチを絵画に仕上げるにあたり、付け足したり削ったりふさわしい美的表現を探していたと言っていますが、エンデにとってはこの相応しい美的な表現を作り出すことこそ芸術であり、美的な創造だったのだと私は理解しています。もしそのように理解するのであれば、エンデとシュタイナーの対立は決定的なものになりますし、エンデがシュタイナーは芸術を全然わかっていないと批判するのももっともなことのように思えます。また、エンデが目に見える理念=具体化された概念=表象というシュタイナーの『自由の哲学』的な図式を直接的に霊的なものそのものの現れと考えたのだとすれば、エンデにとってはシュタイナーの立場は霊的自然主義とでも言えるようなものに見えたのではないでしょうか。

マニエリスムとの対立

エンデとシュタイナーの芸術を巡る対立について、エンデがあれほど深くシュタイナーから影響を受けながら、しかしこの一点において全く無視できない溝が両者にあることが少しは指摘できたのではないかと思います。次の論点はマニエリスムに関するものです。こちらはエンデの芸術観と深く関わってくる論点なのかなと思っています。マニエリスムというとルネサンスバロックの間にある美術史上の一区分ですが、ここではG・R・ホッケが師E・R・クルツィウスから継承・発展させた「ヨーロッパ文学のひとつの常数」としてのマニエリスム概念を指しています。エンデはホッケの追悼文集に寄稿した「どうやって私がグスタフ・ルネ・ホッケと知り合ったか」という文章のなかで、ホッケとの出会いについて書いています。マイナーなテクストなのでここで取り上げることに関する重要な部分を拙いながら訳出してみます。

「ぼくはひどく緊張していた。とうとうあの人に、ぼくに深い感銘を与えたあの本の著者に会えるってことに。もう二、三年前になるが『迷宮としての世界』と『文学におけるマニエリスム』をむさぼり読んだんだ。これらの著作はぼくとぼくの作家としての発展にとって決定的な転換点だった。この著作の助けをかりて、ぼくには初めて次のことが明らかになった。ぼくを芸術的並びに詩的に動かすものすべて―ファンタジー的なもの、魔術、イデア‐芸術―が、当時そう言われていたように”現実逃避的”でもなければ、多かれ少なかれ現実から離れて、奇妙なもの、突飛なものを楽しむことに端を発するわけでもなく、全ヨーロッパ文化の中で、いや本来世界中の文化の中で、あのもう一方の”古典的”身振りに補完的かつ弁証法的に、しかし同じ権利をもって対置する、あの根本態度、”原身振り”に由来しているんだってことを。ぼくはぼく自身を位置づけることができる歴史的伝統をこれらの著作の中に見出した。そして、このことはぼくの文学的な努力を美学的に正当化するという意味でだけでなく、世界と人生に対する極めて普遍的な哲学的態度としてであり、その伝統の中に同時にぼくの全く個人的なアイデンティティの重要な部分を見出すことでもあったのだ。」『Viersen Beiträge zu einer Stadt 16』113P

前述のシュタイナーとの芸術を巡る溝について思い出して頂きたいのですが、ここでエンデが言っていることはこの溝が私たちが当たり前に考えるよりかなり深いのではないかという印象をより強くします。というのも、ここでエンデは自分自身が棹さす文化的伝統を見出せたことが、自分のアイデンティティの重要な部分に関わることだと言っているのですから。いずれにしても、これでエンデにホッケ・マニエリスムがいかほど深い影響を与えたかは明らかになったかと思います。残念ながら、この論点は管見の限りではまだまだ未開拓で、ロマン・ホッケや日本では司修さんがボマルツォの「聖なる森」(あるいは怪物庭園)についてわずかに触れたくらいです。しかし、ヨーロッパ精神史の常数として考えられたホッケのマニエリスム概念の広さからすれば、この論点はまだまだ未知の領域であるといって良いかと思います。
さて、マニエリスムとは何かをここで簡潔に述べるのは、私自身の力に余ることなのでとてもできないのですが、一つの特徴付として古代修辞学における対立としてホッケの師クルツィウスが立てたアッティカ風とアジア風(アッティシズムとアジアニズム)との対立=古典主義とマニエリスムの対立を取り上げてみたいと思います。ホッケは『文学としてのマニエリスム』の中で

「アッチカ風とは古代修辞学にあっては、的確、集中的、簡潔、精巧、本質的なることを意味する。アジア風とはその極端な反対、すなわち過剰、多義性、非本質的なもの、凝りに凝ったくわだてや核心を老獪かつ饒舌に包囲すること、主観的な、遠近法の上で意識的に<欺瞞的な>表現を指していう。」(グスタフ・ルネ・ホッケ,種村季弘訳『文学としてのマニエリスム』40P,平凡社ライブラリー)

とこの2つの立場を特徴づけています。またこの対立は同時に自然的‐人工的であり、ミメーシス‐ファンタジアの対立でもあります。このマニエリスムの伝統の中に、エンデが強く愛着を示す作家たちも列せられています。例えば、シェイクスピアボルヘスベケット、ドイツロマン派…。また絵画ではシュールレアリスムもまたマニエリスムの現代的な形式として大きく取り上げられています。美術史的な区分の意味に近づきますが、先程挙げたボマルツォの「聖なる森」やエンデがボルヘス風短編「ボロメオ・コルミの回廊」のモチーフとした遠近法を用いた錯視的建築もまたマニエリスムです。私見ですが、エンデ作品で言えば『鏡の中の鏡』は非常にマニエリスム的な作品と言えるのではないかと思います。このように、エンデは人生観や世界観の面でシュタイナーの影響を強く受けた一方で、芸術的にはホッケ・マニエリスムの影響を強く受けているといえます。さきほどエンデはシュタイナーの立場を霊的自然主義と見ていたのではないかと述べました。もしこの理解が正しいとすれば、エンデに理解された限りでのシュタイナー的立場はどこまで言っても自然主義的‐古典主義的であって、こういう対立図式としてみたときに、エンデをシュタイナーとは相対する立場に位置づけることができると考えることもできそうです。『鏡の中の鏡』には迷宮という副題らしきものがついています。『迷宮としての世界』との表題からも分かる通り、迷宮とはホッケがマニエリスムの象徴としたイメージであり、工人ダイダロスの神話的イメージと結びついたモチーフでもあります。『鏡の中の鏡』はミノス王の迷宮を想起させる物語で始まり、ダイダロスの息子イカロス神話を想起させる物語へと続いていきます。私個人はここにエンデのマニエリスム宣言を見ないわけにはいきません。
エンデがホッケ・マニエリスムに強く影響を受けていたことは良いとして、では対立とは何なのでしょうか。ホッケは文学的マニエリスムとしてゴンゴリスモ、コンチェッティスモ、クルティスモ、マニリズモ等々を挙げています。絵画で言えばミケランジェロ風の蛇状曲線フィグーラ・セルペンティナータ(figura serpentinata)などが典型となるわけですけれど(わかりづらい方はいわゆるジョジョ立ちをイメージしてください)、マニエリスムの特徴の一つとして痙攣的で過剰で装飾的な文体への偏倚とでも言うべきものが挙げられます。そもそも、古代修辞学におけるアジア風の様式とはそのような過剰に装飾的な様式でした。それに対して、エンデは過剰に意識的な文体への嫌悪感を「文体のはったり」というメモのなかで露わにしています。

「執筆時にはいつも小指をちょっと上げ、口を上品にすぼめているのではないかと思ってしまう作家たちがいる。その大半は批評家から文体の大家として称賛されている。わたしはどちらかと言えば腹が立つのだ。読んでいて、作者があたかも「気づいたかい?わたしがまた、いかに非凡で繊細な表現をしたかを」と言いたげに、行間から、眉を上げてわたしを見るような気がしてしかたないときは、わたしは読みつづける意欲をうしない、その本を閉じる。」(ミヒャエル・エンデ,田村都志夫訳『エンデのメモ箱』PP205-206,岩波書店)

もちろん、先にも述べたようにこの分野での議論は全くなされておらず、まだまだ未開拓の領域ですから、こういった点を整合的に理解する仕方があるかもしれません。ですが、このわたしがここで挙げたいエンデの相反することの一つです。エンデ作品の中には確かに構成上マニエリスム的と言えるような部分がある一方で、文体上、表現上はむしろ簡潔で衒いのないスタイルを取っていることが多いと感じます。その源泉は何よりもパレルモの原体験と呼ばれる、カンタストーリエとの出会いにあるのかもしれませんが、エンデは音読されることを重視しており、自分の文章を奥さんに何度も音読してもらったといったエピソードも残っているくらいです。エンデは自分自身をErzählerと規定しています。ストーリーテラーと日本で浸透した英語での訳語があてられたりしますが、ストーリーを重視するタイプの作家というようなことではなくて、ここでは大道芸人風、吟遊詩人風の物語を語る人=語り部のことを指していると考えたほうが妥当かと思います。エンデが芸術家として深くホッケ・マニエリスムの影響を受けて、自らをその文化的伝統のなかに位置づけている反面、この文体上の過剰という点についてはむしろ正反対の立場に立っているのではないか、というのがここで提起してみたい「相反するもの」でした。

最後にブレヒトとの対立を考える

エンデは事あるごとに、自分が若い頃ブレヒトでとても苦労した、ブレヒトの影響下にある間、全く作品が書けなかったということを言っています。実際、エンデとブレヒトはとてもかけ離れているように見え、私を含めて多くの人は、エンデのこういった発言を見るにつけ、なるほどなぁと納得するのではないでしょうか。そういう意味では、今更ブレヒトと相反するなんて当たり前じゃない?と思われそうです。確かにその通りなのですが、これに一つの視点を付け加えてみたいというのがこの記事の最後の試みになります。先程、エンデがパレルモカンタストーリエの影響を受けたことを書きました。エンデファンにはよく知られたエピソードかと思いますが、エンデがテレビ局の取材旅行でイタリアに旅したとき、パレルモカンタストーリエと呼ばれる大道芸人の物語芸を見て、エンデは自分の芸術というのはカンタストーリエに長く語り継がれるようなそういう作品を書くことなんだと思い、自分の方向性が定まったというお話です。数年前、カンタストーリエって実際どんなものなのかというのを知りたくて、カンタストーリエについて調べたことがあります。カンタストーリエについては資料が乏しくてほとんどなにも分からなかったのですが、各地に似たような大道芸人がいたことはわかりました。ドイツ文化圏にも似たような物語師がいて、ベンケルゼンガーと言いました。20世紀の前半にはまだ活動していたらしいので、もしかしたらエンデも幼い頃ベンケルゼンガーの興行を見たことがあるかもしれません。いずれにしても、ベンケルゼンガーについてエンデ自身が言及しているのは、私の知る限り存在しません。ではなぜベンケルゼンガーを持ち出したかというと、このベンケルゼンガー的伝統に影響を受けたのがブレヒトその人だからです。名倉洋子先生は『ベンケルザング』のなかでこう述べています。

ブレヒトはここで、彼の演劇論の重要な柱の一つとなった異化効果について、歳の市の見世物の手法から学んだことを述べている。ここでは直接言及してはいないが、ベンケルゼンガーの語り方や掛け図の絵の描き方も、異化効果の実例として当然ブレヒトの念頭にあったものと思われる。(中略)しかし、ブレヒトとベンケルザングのかかわりは演劇理論の面だけに留まらず、実作面でも多岐にわたって認められ、ほとんど一生涯に及ぶものといっても過言ではない。」名倉洋子,『ドイツの民衆文化 ベンケルザング―広場の絵解き師たち』PP117-118,彩流社

こういう観点から見ると、ブレヒトとエンデ、実に近いところにいたとも言えそうな気がします。むしろ、実作上、エンデの著作の中に明確にカンタストーリエ的要素を見出すことは難しい点から見れば、この点ではむしろブレヒトのほうが強い影響を受けていたと言えそうです。エンデ自身はブレヒトのとりわけ政治的で教育的な部分、特に芸術を通して意図的に何かを教え込もうとする仕方が受け入れがたかったと考えているし、それはその通りだと思うのですが、エンデがブレヒトから抜け出せなくなるくらいの影響を受けたというのは、単に当時の文学的スターであり流行りの演劇理論だったからというだけでなく、こういった根本において近親な部分があったからかもしれないとも思えます。そして、道は別れたとは言え自分の芸術の根としてカンタストーリエのような大道芸的なもの、語りの民衆文化的なものを置く点に、ブレヒトとの関係でエンデの相反するものを見いだせるのではないかと思います。

蛇足

エンデ講座に行ったという話から、正直最初に思っていた以上の分量になってしまったのですが、最後にエンデ講座のときの話に戻りたいと思います。今回の趣向として、『モモ』の一節が引用されたカードを各々もらったのですが、私が手にしたカードには「世のなかの不幸というものはすべて、みんながやたらとうそをつくことから生まれている。それもわざとついたうそばかりではない。」というベッポの言葉でした。嘘と芸術=フィクションの違いの問題はエンデにとっておそらくかなり重要なテーマではないかと思います。それはエンデが芸術家のイメージとしてパガートを大事にしていることからも推測できます。エンデ自身がパガートとは魔術師であり奇術師であると言っています。魔術師は本当の奇跡を扱い、奇術師はその手練手管(マニエラ!)で奇跡と思わせるフェイクですが、パガートはその両方を象徴しているというのです。「道しるべの伝説」というエンデの短編には、トゥット・エニエンテTutto Enienteという人物が登場します。この名前が言葉遊びになっている―Tutto e niente(全と無)/Tutto è niente(全は無である)―人物は大道芸のマイスターで、自分の弟子である本物の奇跡を求める主人公ヒエロニムス―弟子としての名はイル・マットil Matto(狂人)―そんなものはすべて嘘っぱちだと教えます。一旦はこの教えに従うヒエロニムスは、紆余曲折を経て真の奇跡にたどり着くというのが物語の結末です。ヒエロニムスがエンデ自身だというつもりはありません。それはジジがエンデではないのと同様に。ですが、この真の奇跡の希求と芸術の提示する虚構との緊張関係は、エンデ自身にとって重要な問題だったのではないでしょうか。エンデが芸術によって何かを教え込もうとする態度に批判的なのも、この芸術のもつ虚構の力をそのように使うことへの戒めのようにも思えてきます。エンデのなかの相反するものというテーマで3つの視点で考えてきましたが、この相反するものの緊張関係のなかでそれをおおらかに受け入れること、このロマン派的な遊びの態度こそが、エンデの根本態度であるのではないか、そのような結論じみたことを述べて本稿を終わりにしたいと思います。