貨幣の隠喩としての時間という解釈の一面性

エンデの遺言」と「モモ」があの松岡正剛氏の千夜千冊で取り上げられた。松岡氏は最近積極的に資本制に関わる著作について千夜千冊しているので、当然、エンデの貨幣と経済システムへの問題意識に関する部分が取り上げられた。で、僕はそれを読んで、多少の違和感を覚えた。「遺言」の話ではなく「モモ」の話だ。僕は、別に松岡氏の「モモ」解釈自体に異論はない。むしろ、「遺言」の内容が発表された後でのスタンダードな「モモ」解釈だ。が、それが”スタンダード”であるがゆえに、違和感を覚えたのだ。結論から言って、それは少し貧困すぎないか?ということだ。一つはっきりさせておくと、「モモ」は発表当時、基本的に「時間に余裕のなくなった現代人への警鐘」というこれまた貧困な捉えられ方をしていた。これに対して、エンデ自身も不満を述べている。例えば、子安美知子との対談「エンデと語る」では、

「…じつは「モモ」の書評などで褒められても、ひどく外面的表面的な理解しか示されていないと思うことはあるのです。…けれども、いや、いや、ちょっと違います、とは言いたい。私としてはもう少し先のところまでいっているつもりなのです。」

と言っている。エンデの死後、日本ではエンデが示した貨幣・経済のオルタナティブな考え方(主にゲゼルの貨幣論とシュタイナーの社会有機体三分節論)を取りまとめた「エンデの遺言」が出版された。ここでエンデの経済学者ルドルフ・オンケンへの書簡の一部が掲載されている。その中でエンデは「老化するお金という概念が私の本「モモ」の背景にあることにきづいたのはあなたが最初でした。」と書いている。ある意味で、「モモ」における「時間」を貨幣の比喩で解釈することは、エンデのお墨付きといえなくもない。しかし、一方で、それはエンデの嫌う芸術の解釈の仕方でもある。つまり、作者(エンデ)が言っているから、こう読むのが正しいんだ!というのは、作者のメッセージの容器として文学を捉えていることに他ならないからだ。無論、オンケンの気づきは素晴らしいが、それを知った僕らが同じ解釈をする必要もないし(「遺言」と全く無関係に自分でそれに気づいたのなら別だが)、それが唯一の「モモ」解釈だと思う必要は全くないのではないか。僕が貧困だと思うのは、貨幣解釈を唯一解であるかのような取り扱いなのだ。

さて、「モモ」における時間を貨幣の隠喩とする解釈について、簡単に僕なりの解釈を述べて置くとこんな感じになる。灰色の男たちは、他人の時間(=時間の花)を騙しとって冷凍し、それを葉巻にして吸うことで生きながらえる。ここで人間の中にある時間は「生きた時間」とされ、灰色の男たちの葉巻は「死んだ時間」とされる。つまり、生きた時間を死んだ時間にして利益を得るのが灰色の男たちだ。ここにはゲゼルの「減価する貨幣」やシュタイナーの「老化する貨幣」の隠喩を読み取ることができる。生きた時間=貨幣は、経済領域の中で価値を減じながら流通する、シュタイナーの三分節論では社会はひとつの有機体として考えられており、貨幣は血液のように市場を循環すると想定されている。そして、貨幣の機能は交換機能だけに限定される。それに対して、灰色の男たちの時間=貨幣は価値を減じず、むしろ時間=貨幣そのものが価値を持つようになる。エンデの比喩で言えば、パン屋のお金と株式市場のお金の違い、だ。そもそも、時間貯蓄銀行という名前や、灰色の男たちのレトリック(時間の利子=自己増殖のレトリック)を見れば、貨幣というキーワードがあれば、貨幣の比喩というのはかなり簡単にわかる比喩なのだ。
ここからが本題。じゃあ、「モモ」における「時間」は「貨幣」の比喩にすぎないのか?僕は、これには反対だ。エンデの友人でもあり、日本にシュタイナー思想/教育を紹介したことでも知られる子安美知子さんは、「モモ」に大変感銘を受け「モモを読む」という本を書いている。この本の「モモ」解釈自体はシュタイナー思想(エンデはシュタイナーに非常に大きな影響を受けている)に基づいたとても面白いものだが、ここではその内容については触れないし、僕は当たり前だがこれが「モモ」の正統解釈だとか言いたいわけではない。ただ、この本で子安さんは非常に重要な指摘をされている。それは翻訳の問題だ。モモの一節に「なぜなら、時間とはすなわち生活だからです。そして人間の生きる生活は、その人の心の中にあるからです。」というところがある。二部の最初のところだ。これはドイツ語では「Denn Zeit ist Leben. Und das Leben wohnt im Herzen.」となっている。子安さんはこの「Zeit ist Leben」は「時間とは”いのち”なのです」と訳した方がよいのではないか、と提案する。ドイツ語のLebenは英語だとlifeにあたり、生活の他に生命などと訳せるのだ。子安さんの指摘では、Lebenを生活と取ると、時間の花(Die Stunden-Blumen)は生活=時間=生活の花になってしまうのではないか、という。時間=生命であり時間の花=生命の花と取った方が、時間の花をよりよく表現できるのではないか、というわけである。僕は、「Zeit ist Leben」の後の文にも注目したい。Lebenを生命ととれば、そこは「生命(=時間)は心(ハート)の中にあるのです」となる。さて、「モモ」のこの箇所をこのように解釈すると、僕には別の連想が生まれる。それは何か?「はてしない物語」だ。「はてしない物語」で重要な役割を果たすものに「生命の水(die Wasser des Lebens)」がある。そう、ここでもLebenがでてくるのだ。ここで「生命の水」と「時間の花」の関連性を詳しく論じることはできないので、簡単に言ってしまうと、これらはシュタイナーの言葉で言えば「高次の自我」あるいは「人間の中の神的なもの」と解釈できるのだ。言い換えれば、これらは人間の中の超越的、形而上的なものの表現だと言えるのである。詳細は省くが、こう捉えれば「生命はハートの中にある」という一文にも、初期ロマン派的・人智学的な意味を読み取ることができる。
さて、僕が問題にしたのは貨幣だった。結論から言おう。時間を貨幣の比喩と捉えると、時間の花の意味の深みが失われてしまうのだ。短絡的に言ってしまえば、時間=貨幣=貨幣の花は、時間の花の壮大なイメージと全く合わない。更に言えば、マイスター・ホラのことを考えて見るといい。マイスター・ホラはいわば超越的・神的存在だ。しかし、もし時間を貨幣の比喩”だけ”で捉えれば、マイスター・ホラはせいぜいのところ貨幣鋳造所の所長か、中央銀行の頭取になってしまう。僕が、貨幣の比喩”だけ”で捉えるのは貧困だと思うのは、こういうことなのだ。これは蛇足かもしれないが、エンデ自身、政治家エアハルト・エプラーとの対談で「モモ」の射程を聞かれてこう答えている。

「「モモ」はすでに、限界の向こうに何があるか、を暗示している。特に僕の念頭にあるのは、マイスター・ホラのところでの話なんだけどね。そこでは物語は、何よりも外的な日常の現実を越えて、超越的で、形而上的な、あるいはシュルレアルな領域に移っている。モモは「時間の花の池」のところで、これまでとはまるで違ったふうにして、自分が人間であることを知る。精神的で物理的な宇宙の子どもなんだと気づく。宇宙全体の働きかけがあって、モモはモモの人生の一時間、一時間を授けられる。この体験によってモモは、「不安よりも大きな」あの感情を抱くようになる」

繰り返しになるが、僕はエンデが言っているから、時間の花を超越性と結びつける解釈の方が正しいと言いたいわけではない。ただ、「モモ」の射程の話なのだ。「モモ」に限らず、エンデにとり超越的なものの体験と人間の意識の変容は重要なモチーフの一つだ。だが、ただ貨幣として”だけ”時間を解釈すると、この射程を取りこぼすことになる。しかし、エンデの対談などを読めばわかるが、エンデにとってこの問題は極めてクリティカルなポイントだと、僕には思われる。ある意味では、貨幣と経済の問題はその問題のひとつの部分だとすら言えるのではないかとすら思う。勿論、これは僕のエンデ観であり、僕の今のところの社会三分節論の捉え方から発しているのだけど。とにかく、僕は貨幣の問題を大きく取り上げるあまり、エンデに通底する他の問題意識が捨象されるのは望ましくないし、一面的だということを指摘したかったのだ。
蛇足になるが、エンデとシュタイナーの関係について一言いっておきたい。これは松岡正剛氏がエンデへのシュタイナーの影響を、エンデがシュタイナー学校に通っていたことと結びつけているので、あえて書いておきたいのだが、僕が読んだ限りでは、エンデがシュタイナーに自発的に関心を持ったのは、20代前半の頃である。エンデは様々な神秘主義・秘教思想に通じているが、そういう書物を求めているときにシュタイナーの「自由の哲学」と「歴史兆候学」に出会い、その後、シュタイナーの著作に極めて精力的に取り組んだ。エンデの伝記を書いたペーター・ボカリウスは、シュタイナーとヴァインレープについては右にでるものがいないくらい熱心に研究していたと書いている。エンデがシュタイナー学校に通っていたのは事実だが、これは18歳ごろの一時である。ここは松岡氏に誤解があるようだが、小学校一年生のとき、人智学に影響を受けた先生が担任だったが、シュタイナー学校に通ったわけではない。また、エンデの父エトガーも神秘主義への関心が強くシュタイナーの研究もしていたし、おじのヘルムートは三分節論関係のシュタイナーの講演にも参加したことがあるらしい。(これらは全てボカリウスの「物語のはじまり」に書かれている。)そのため、神秘学への傾向を父親からの影響と見るのは正統だと思うが、シュタイナー思想に限定して言えば、必ずしも父からの強い影響は認められない。何よりも、エンデ自身がシュタイナー思想との出会いについて、20代前半の頃であり、シュタイナー学校にも通っていたが、アントロポゾフィーの考え方を教わったわけではないし、このことに関しては影響がないことを、前述の子安美知子さんとの対談で述べている。勿論、本人が言っているからと言って、心理学的な意味で必ずしも全てが正しいとは言えないが、それを反証するためにはかなり強力な反証材料が必要なはずだ。僕の読む限りで、これらの事実を反証するような事実は存在しないし、そもそもシュタイナー学校はアントロポゾフィーの考え方を教えるところでもない。以上から、エンデへのシュタイナーの影響は、エンデが自発的にシュタイナーに取り組んだ20代前半の時期を基準とすべきだ。これ自体蛇足だが、誤解を避けるためにあえて記述してみた。ちなみに、前述のボカリウスの本を読めば、このあたりの関連は一目瞭然なので、興味のある方は目を通して頂ければわかるとおもう。